音楽は身近なものになった。いや、なりすぎたのかもしれない。 musicの洪水は私たちを静寂の世界から追いやってしまった。 肌で聞こえる蝉の声、耳をなでる川の音、間の抜けた包丁のリズム。 そういった生活臭さのある音よりもAKB48のmusicの方が身近なのではないだろうか。

ビートのない音がむしろ貴重な時代―――それが、現代だ―――

音楽はいつでも聞ける。BGM、ウォークマン、youtube、携帯電話etc.... 僕たちはいつでも音楽を持ってる。

だから現代では、musicはいつでも私たちの耳に届くことができる。 けれども、そのmusicは私たちの魂にまで届いているだろうか。

思い出さなくてはならない、musicが存在することの意味を。

―――五分足らず。

そのわずかな時間には息詰まる興奮、鋭い指摘、あたたかな励ましが詰まっている。 そして、私たちは震えずには、走り出さずには、涙を流さずにはいられなくなる。 最大限に発揮された時に限られるとはいえ、それはたった一曲の威力。 アルバムを本気で聞きこもうと思えば、一生かかるだろう。それが本当のmusicのエネルギーなのではないか。

どうしてこんなものが生まれたのだろうか。特にRock'n'rollのエネルギー量は他の音楽とは比べ物にならない。

人が歴史の中で生まれ歴史を刻んでいくように、musicもまた歴史の中で生まれ歴史を刻んでいく。

でも、現代のmusicに歴史は無い。魂を揺さぶるかどうかはmusicの関心外だ。 今あるのは売れるかどうかだ。 現代のmusicに語り継がれる名曲はありえない。生鮮食品のようにmusicには旬があると思われているからだ。だから、現代のmusicは歴史に残ることもありえない。そうやってmusicの洪水の時代が訪れた。でも、だから、悲しい哉、musicはどうでもいいものになってしまった。

どうか忘れないでくれ。 musicの洪水が奪い去って行ったのは、静寂だけじゃない。音楽に一番大事なRockの魂が奪い去られてしまった。残るのはただリズムのある雑音だけ―――こんな時代だ。私の声に耳を傾けるほど暇な人も少ない。 でも、もしよければ私と一緒に少しだけ遠回りしてみないか。

―――musicは少なかったけれど、Rock'n'rollのあった時代、人間がmusicを知っていた最後の時代、音が生きていた時代に――

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2013年2月18日−サイト開設。第一回の邦訳は『 white riot